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高松高等裁判所 昭和52年(ラ)18号 決定 1977年5月26日

抗告人 A

相手方 高知県立○○児童相談所長 B

事件本人 C 他1名

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は別紙<省略>のとおりである。

そこで、判断するに、記録によれば、次の事実が認められる。すなわち、(一)高知県□□郡××町で◎◎をしていた抗告人は、昭和三七年にDと婚姻し、双方間に、昭和○年○月○日長男の事件本人Cが、昭和○年○月○日二男の事件本人Eがそれぞれ出生し、事件本人両名は両親に養育されて成長し、平穏な毎日が続いていた。(二)ところが、昭和四一年一月、抗告人が××町の△△川改修工事に従事中頭部を負傷し、くも膜下出血のため直ちに高知市内のa病院に入院し、以来昭和四三年六月退院する迄約二年六ヶ月間入院治療を受け、そのため抗告人及びその家族は、生活に窮し、昭和四二年五月以降生活保護を受けてようやくその日を過ごす有様であつた。ところが、抗告人の妻Dは、抗告人が退院した直後、抗告人及び事件本人両名を残し突如家出して行方が知れなくなり、事件本人両名の養育に困りはてた抗告人は、やむなく昭和四三年八月右両名を養護施設b寮に入所させることとした。その後、抗告人は、Dが大阪方面で売春防止法違反の疑いで検挙されたことを警察署から知らせを受けて知り、Dとの離婚を決意して高知地方裁判所に離婚の訴を提起した結果抗告人勝訴の判決の言渡を受け、昭和四五年四月三日右裁判の確定によりDと離婚し、その裁判で事件本人両名の親権者を抗告人と定められた。(三)事件本人両名は、昭和四六年一一月前記b寮から養護施設c園に、さらに昭和五〇年二月から養護施設dに措置変更され、後記のとおり抗告人が事件本人両名を引き取る迄右各施設で生活を送つていたが、その間抗告人は、養護施設や高知県立○○児童相談所の職員に対し、事件本人両名の処遇につきとくに手落ちがなかつたのに、不平や不満を述べて抗議したり、それを理由に施設の変更を申立て、そのため前記のとおり措置変更がなされたのであるが、遂にはこれら職員に対する不信感がつのり、抗告人が事件本人両名を施設から引き取ることを強く要求し、児童相談所が再考を促したのに耳をかそうとせず、昭和五一年八月四日事件本人両名を引き取り、前記××町で、当時中学二年に在学中の事件本人C及び中学一年に在学中の同Eともども父子三人で生活していたが、間もなく抗告人の肩書住所地に転居した。(四)ところで、抗告人は、前記退院時、前記症状は固定し、頭部外傷後遺症(頸腕症候群)が残存していたものの、軽作業に従事することは可能であつたのに、勤労意欲に乏しく、殆んど職に就かないで生活保護による扶助費月額金九万六、九二〇円を受給して生活していたが、前記退院後、異常に独善的、爆発的で疑い深いなどの性格が目立ちはじめ、前記のような施設等の職員に対する態度もそのような異常性格によるものであるが、ことに、抗告人が事件本人両名を引き取つた昭和五一年八月以降は、平穏であつた家庭が前記負傷事故以来急速に崩壊して行つたばかりか、事件本人両名が抗告人になつかないことなどに強い欲求不満や劣等感を抱き、これを解消するため、事件本人両名を些細なことでむやみやたらに叱責したり、しばしば手拳や野球用バットで殴打するので、事件本人両名は、そのたびに抗告人方を家出し、盛り場をうろついたりしていて警察官に補導されたこともあつたが、その殆んどの場合に児童相談所や前記dに赴いて救いを求めたので、児童相談所では、その都度右両名を緊急一時保護ないし一時保護の措置をとり、抗告人に対し反省を促したり助言したりしたうえ、結局は抗告人に右両名を引き取らせてきたところ、昭和五二年一月一七日、抗告人は、事件本人Cが抗告人と口論して大声を立てたことから激怒して右Cの首を手でしめつけ、全治に約四日間を要する頸部圧挫兼皮下出血の傷害を負わせたため、右Cは高知警察署に保護を求めた。そこで、児童相談所は、右Cを緊急一時保護する一方抗告人に出頭を求め、厳重な注意を与えて反省を促した後右Cを引き取らせたのに、その後も抗告人の事件本人両名に対する態度はあらためられず、同月二一日には事件本人両名が抗告人と口論の末相次いで家出して外泊を重ねた後警察署に保護を求め、また、同年二月一二日にも事件本人Eが抗告人から野球用バットで殴打されたことから家出し、さらに同月二一日事件本人Cが抗告人からきつく叱責されたことから家出するという事態が相次いだ。(五)事件本人両名は前記のような抗告人から受けた度重なる叱責や暴行にたえられず、抗告人方を出て、養護施設で生活することを強くのぞんでおり、事件本人両名の母Dは行方が知れず、その生活歴に照らしても同女に右両名を養育させることは必ずしも適当ではなく、他に事件本人両名の養育を委ねるべき監護能力のある親族はおらず、しかも、申立人が抗告人に対し、事件本人両名を養護施設に再度入所させるようすすめても、抗告人は養護施設や児童相談所に対し強い不信感を抱き頑としてこれを拒否していることが認められる。

以上に認定したところによると、抗告人が事件本人両名に加えた暴行の程度は親権者に許容される懲戒権の範囲をはるかに逸脱し、事件本人両名にとつて耐え難いものであつたことは明らかであつて、躾をもつて論ずるのは相当でなく、ようやく人間形成の重要な時期にさしかかつた事件本人両名を抗告人に養育させることは、その福祉を著しく害するものであつて、他に監護能力のある親族のいない事件本人両名の福祉のためには、申立人が右両名を養護施設に入所させることを承認するの外はないものといわなければならない。

抗告人は、抗告人がこれまで事件本人両名に加えた体罰が多少程度を超えたものと痛く反省し、今後は断じて体罰を加えないことを誓つているから、事件本人両名を抗告人の許で養育しても、その福祉を害することはない旨主張するが、前記認定した抗告人の性格、生活態度、事件本人両名に加えた暴行の態様ないし程度ことに抗告人が児童相談所からしばしば反省を促されながらあらためようとしなかつたことに照らすと、抗告人が現在真に反省しているとしても、その反省がいつまでも持続するとはとうてい認め難く、抗告人の右主張は理由がない。

また、抗告人は、事件本人両名を施設に入所させると、永久に父子間の情愛を欠き、日夜父子ともに悩まなければならない結果となるのに、原審判は右実情を考慮しておらず、審理が十分尽くされていない旨主張する。しかし、親と子が起居をともにし、愛情に包まれた家庭生活を送ることは、もとより好ましいことではあるが、抗告人の事件本人両名に対する態度が愛情から発するとしても、懲戒権の範囲を逸脱する暴力を加えるなどして、事件本人両名にも受け入れられず、その福祉を著しく害する以上は、親権者の意思に反して児童を養護施設に入所せしめることも、児童の福祉のためにはやむを得ないところであり、そして、抗告人の反省、事件本人両名の成長等により他日親子が共に生活することが全く期待できないわけでもないし、原裁判所がこれらの事情について十分な調査ないし審問を遂げていることも記録上明らかであるから、抗告人の右主張は理由がない。

したがつて、申立人が事件本人両名を養護施設に入所させることを承認した原審判は相当であつて、本件抗告は理由がないから棄却すべきものと認め主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 今村三郎 裁判官 下村幸雄 福家寛)

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